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お知らせ

特定生殖補助医療法案たたき台改善への取組と報告

目次

1.特定生殖補助医療法の背景

日本では1998年頃から第三者の精子・卵子提供に関する特定生殖補助医療*の法制化*が検討されてきました。2003年に厚生労働省の審議会が出自を知る権利*を保障する報告書をまとめましたが、立法府で議論がまとまらず法制化は見送られました。その後、2020年に民法特例法*が成立したものの、出自を知る権利や精子・卵子のあっせん規制は先送りされました。20年以上の停滞を経た今、超党派の生殖補助医療の在り方を考える議員連盟(以下、議連*)が議員立法*による特定生殖補助医療法の法制化を推進しています。

2.法案改善を求める当院の活動

当院が特定生殖補助医療法案への改善活動を始めたのは、2022年8月からです。これは、同年3月に示された法案のたたき台*で、2003年の厚生労働省審議会報告書では認められていた出自を知る権利の保障が完全に消失していたことに衝撃を受けたためです。当院は独自のガイドラインに基づいて「出自を知る権利」に配慮した治療を開始しており、日本でもこの権利を保障した治療が実施可能であることを訴えてきました。具体的な活動についてはこちらをご覧ください。

▼法案たたき台と当院ガイドラインの違い

法案たたき台 当院
18歳未満の子どもが知れるドナー情報 なし ドナーの身長、体重、体の特徴、血液型、趣味特技、職業、精子を提供する理由、親の人種的背景、3親等以内の病歴
18歳以上になると知れるドナー情報 ドナーの身長・血液型・年齢(さらに詳しいドナー情報を知りたい場合は、子どもが国に申請し、国がドナーに確認。ドナーはその時点で開示可否を判断する) 当院仲介のもと、子どもはドナーと接触が可能。接触とは、メール・電話・手紙・直接会うのいずれかを1回以上実施すること
ドナーと夫婦のマッチング なし 夫と一致する血液型のドナーを選定
ドナーの国籍 日本国内に住所をもち、個人番号をもつ者。外国人の場合は在留期間が無期限の者 日本国籍を有する者

このような背景から、当院は議連や関係機関に対してたたき台の改善を求める請願活動を続けてきました。

3. 野田聖子議員との面談を振り返って

昨年12月、私は議連会長の野田聖子議員を訪ねました。当院を含む複数の団体が1年間請願しても法案たたき台が変わらないことに強い不安を抱き、改善要求に終始しました。野田議員は私たちの話を真剣に聞いてくださいましたが、「たたき台は変えられない」という従来通りの説明にとどまりました。また、野田議員から「出自を知ること、ドナーが誰かを知ることで子どもは幸せになれるという根拠はどこにあるのですか」と質問を受けました。私はこの質問に対して証明する根拠を持っておらず、なぜ法案のたたき台に不安を抱いているのかを野田議員に十分伝えられなかったことに悔しい思いを抱えながら帰路につきました。しかし、野田議員の言葉を反芻するうちに、子どもがドナーを知ることは幸せを問う以前の問題であり、すべての人間が持つ基本的な権利であると改めて強く感じました。私たち医療者が出来ること、しなければいけないことは、子どもの権利が守られるような医療体制を整え、子どもの福祉を最優先に考えるように親を支援することが重要であると再認識しました。

4.伊藤孝恵議員への最後の請願

今年2月中旬、私は議連事務局長の伊藤孝恵議員にお会いできました。立法*のタイミング的にこれが最後の請願となります。私は、議連が法案たたき台において重要視している『親から子どもへ告知』という点に絞ってお話をすることにしました。具体的には、親から子どもへの告知の義務化は実際には簡単ではないこと、そして『子どものための』告知を続けるためには(告知は1度伝えて終わりではない)、子どもが幼少期からドナーがどのような人なのかを知りうる情報が必要であることを、根拠をもって訴えました。

子どもが18歳になるまで一切のドナー情報がわからないことが親に与える心理的悪影響は、議連が最優先としている告知のハードルを上げることになりうることを伝えました。すると、伊藤議員は「私たちも鴨下さんと同じ考えです」と、まっすぐに私の目を見ておっしゃいました。

伊藤議員は、AID*の歴史やその問題、諸外国がどのように出自を知る権利を法律で整備するに至ったかについて非常によくご存知でした。また、この1年間に議連に寄せられた生まれた子どもや親、そして今回法律の対象外となる同性カップルや選択的シングルマザーの声についても受け止めていました。

当事者の声は議員連盟に届いていました。

さらに伊藤議員が、時間がかかっても整備していきたいと考えている子どもの出自を知る権利に関する内容を伺ったところ、それが当院と同じ考えであることに驚きました。

5.『法制化ありき』の事情

2003年の審議会で、出自を知る権利を保障するという結論に至っていたにもかかわらず、本法案のたたき台ではそれが不十分になった要因の一つは、AIDは隠されてきた歴史があり、プライバシーが強い医療でもあるため、社会的な認知度が非常に低く、国会議員の中でAIDの実態を知っている人は少ないことだと感じました。そのため専門的な知識が反映されにくくなっていると感じています。また、AIDに対する曖昧な知識やイメージで否定的な見解を持つ議員がいるのは容易に想像できます。

特定の専門知識を持つ議員が子どもの出自を知る権利について踏み込んで法制化をしようとするほど、議員間の合意形成は難しくなったのだと思います。さらに、超党派による各党の調整の難しさは、伊藤議員との面談を通して素人の私にもよくわかりました。

議連が、「今ここで法制化できなければ、もうこの国で特定生殖補助医療法を成立させることはできない」と言い続けてきた背景には、このような事情があることは理解出来ました。

法案たたき台は昨年11月に示された後、さらに改善を重ねたそうです。たたき台の最終案は間もなく議連にて承認される見込みです。

6.法制化が治療に与える影響

法制化ができないまま20年以上の時が経過し、AIDの問題は複雑化して誰も手をつけられない状態になっています。この状況を整理できるのは法律しかなく、公的な支援が進むためにも法制化が必要です。

しかし、法制化は、国が放置した20年の間に独自に進化してきたやり方を覆すことにもなり、犠牲が伴います。今回、法律の対象から外れた人々にとって法制化は絶望だと思います。

『まずは法制化すること』を優先することで、この治療は前進するのか、あるいは後退するのかは現時点ではわからないというのが実際のところです。

当院もまた、法制化されない期間に独自の進化を遂げてきました。当院は現在既に出自を知る権利に配慮した治療を行っており、法制化後も生まれる子どもを最優先とした治療を継続したい旨を伝えたところ、議連には当院のやり方を止めさせる意図はないことがわかりました。何をどの範囲で継続できるのかという具体的な点はまだ不明ですが、私は伊藤議員の言葉を信じたいと思います。

7. 3年後の見直しに向けて

法案たたき台では、本法律は、立法から施行*までの準備期間が3年設けられています。そして、立法から3年後に見直しの時期が設定されています。つまり、法が施行されるタイミングで、法の見直しができるように設計されています。

精子提供の生殖補助医療におけるこれから3年間のエビデンスが、3年後の法の見直しの根拠になります。重要な3年間です。

この治療は『子どもを望む夫婦』『ドナー』『生まれてくる子ども』という立場の異なる3者が当事者となる難しさがあります。法律の整備はもちろんのこと、たゆまぬ現場の当事者支援の両輪で初めて成り立つものだと私は思います。

当院はこれまで通り、この治療をはじめる時に、唯一同意が取れない「子どもの権利」を最優先にした医療体制を提供するという信念を胸に、日々目の前の患者さんご夫婦一組一組と向き合っていきます。

そして、この治療で生まれる子どもが、ドナーの個人が特定されない範囲で、ドナーがどのような人なのかという情報(ドナーのプロフィール)を親から教えてもらいながら育つことが、この治療全体に与える影響をデータとして蓄積していきます。これらのデータを社会に発信し、3年後の法律見直しの際に、当事者にとって実質的な進展となる法律改正に貢献できるよう、全力を尽くしていきます。

2024年6月1日
医療法人社団暁慶会
はらメディカルクリニック
副院長 鴨下 桂子

用語説明

[特定生殖補助医療]人工授精、体外受精などの生殖補助医療の中で、特別なケースに用いられる医療技術や方法の総称。本記では第三者の精子や卵子の提供を意味している。

[AID]無精子症や性別変更により精子がない夫婦が子どもを持つための方法の一つ。第三者の精子提供による妻への不妊治療であり、国と学会から認められている医療。日本では70年以上の歴史があり、この方法で生まれた子どもは2万人いるとされ、多くの子どもはAIDで生まれたことを知らされていないと言われている。実態はわからない。

[出自を知る権利]生まれた子どもが、①自分が生まれた方法を知る権利と、②自分の遺伝的ルーツを知る権利。出自を知る権利の保障とは、この両方の権利が担保されることを指す。

[民法特例法]本記における民放特例法とは2020年に成立した、精子や卵子の提供による生殖補助医療で生まれた子どもとその親との法的な親子関係を明確にすることを目的とした法律。この法律により、ドナーが生まれた子どもに対して法的な親として権利や義務を持たないことを明確にした。一方、ドナーの権利を保護する法律はないため、夫婦が夫婦関係にない場合などはドナーの権利をおびやかす可能性を孕む。

[議連]共通の目的や課題に取り組むために結成された国会議員のグループである議員連盟の略語。

[法案たたき台]法案の初期段階の案のこと。関係者の意見を集め、修正や改良を行うための基礎となる文書。

[議員立法]国会議員が発議して作成される法律。政府提出法案である内閣立法とは異なり、議員が主体となって立案し、国会に提出される。議員立法は、特定の議員や議員グループが問題解決のために自ら法案を作成する場合に用いられる。

[法制化]法律として確立すること。

[立法]法律を制定すること。

[法施行] 制定された法律を実際に運用すること。法律が実質的な効力をもつこと。

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