胚移植の後は、安静にしていた方が妊娠しやすいのではないか!?と思うかもしれませんが、現在は、長時間の安静はもちろんのこと、短時間の安静(10分、20分、30分)も着床率・妊娠率・出産率を改善しないという共通の結果が示されています。
このページでは、安静が必要と考えられていた時代の背景と、現在の研究で明らかになった「安静の不要性」について説明します。
1.安静が推奨されていた時代
世界で初めて体外受精が成功したのは1978年のイギリスで、ルイーズ・ブラウンさんが誕生しました。その後、欧米では体外受精の成功が広がり、日本では1983年に東北大学によって国内初の体外受精児が誕生しました。
当時、胚移植の後は、子宮収縮や胚の排出を防ぐため、患者を仰向けに寝かせ、長時間安静に保つことが一般的でした。ASRM(アメリカ生殖医学会)のサイトによると、2週間の安静が推奨されていた時期もあったとされています。
日本においても、体外受精が入院管理で行われていた時代には、胚移植後に長時間安静にすることが一般的でした。その後、国内で体外受精が広がるにつれて安静時間は短縮されましたが、当院が不妊治療専門クリニックとして都内で初めて日帰り体外受精を実施した1993年以降も、胚移植後に安静を取る習慣は根強く残っていたと考えられます。
2.現在の研究が示す事実
胚移植後の安静と妊娠の関係については、多くの研究結果が蓄積されています。中でも、Bede Tylerらによるシステマティックレビューとメタ解析の論文(Tyler B, Walford H, Tamblyn J, et al. Interventions to optimize embryo transfer: a systematic review and meta-analyses. Hum Reprod Update. 2022;28(4):480-500.)では、以下のような研究が引用されています。ここでは、その結果を簡単にご紹介します。
◆Zouhair O Amarinらの研究
「Bed rest versus free mobilisation following embryo transfer: a prospective randomised study」
- 研究内容:①胚移植後に1時間安静を取る群と②24時間安静を取る群に分けて比較。
- 結果
胚あたりの着床率: ①1時間安静群14.4%、②24時間安静群9%(有意に低下)
移植あたりの妊娠率 :①1時間安静群21.5%、②24時間安静群18.2% - 結論
移植あたりの妊娠率に大きな差はないが、②24時間安静群では胚あたりの着床率が有意に低下。過度な安静は着床率に悪影響を及ぼす可能性が示唆される。
◆K Rezábekらの研究
「Does bedrest after embryo transfer cause a worse outcome in in vitro fertilization?」
- 研究内容:①胚移植後に20分安静を取る群と②病院で一晩安静にする群を比較。
- 結果
妊娠率:①20分安静群50%、②一晩安静群22.2%(P=0.08)
出産率::①20分安静群40%、②一晩安静群11%(P=0.07) - 結論
胚移植後の一晩の安静は妊娠や出産率を改善しないどころか、悪影響を及ぼす可能性がある。
◆Karen J Purcellらの研究
「Bed rest after embryo transfer: a randomized controlled trial」
- 研究内容:胚移植後に30分間安静を取った群と、安静を取らずに即時帰宅した群を比較。
- 結果
妊娠率・妊娠継続率ともに、両群で有意差なし。 - 結論
胚移植後の30分安静は妊娠率を改善せず、即時帰宅しても悪影響はないことが示されました。
<総括>これらの研究結果から、長時間の安静(例: 24時間)はもちろんのこと、短時間の安静(例: 10分、20分、30分)でも妊娠率や着床率を改善しないことが明確に示されています。むしろ、過度な安静が悪影響を及ぼす可能性があるため、安静は妊娠を目的とした対策としては推奨されません。
3.短時間の安静でも悪影響か
胚移植後の安静についての研究では、安静が着床率・妊娠率・出産率を改善しないことが明確に示されています。一方で、短時間の安静が悪影響を及ぼす可能性についての議論は少ないものの、以下の研究では、10分の安静でも出生率が低下する結果が報告されています。
◆Sharayu Gaikwadらの研究
「Bed rest after embryo transfer negatively affects in vitro fertilization: a randomized controlled clinical trial」
- 研究内容:①胚移植後に10分間の安静を取った群と、②安静を取らずに自由に移動した群を比較。
- 結果
出生率:①10分安静群41.6%、②移動群56.7%(有意差あり)
流産率: ①10分安静群27.5%、②移動群18.3%(有意差なし) - 結論
10分間の安静は、体外受精の結果を改善せず、むしろ移動群の方が出生率が高い結果となりました。安静が有効でない理由は、さらなる研究が必要とされる。
4.ASRMは胚移植後の安静は推奨しない
ASRM(アメリカ生殖医学会)は、多くの研究結果を基に、胚移植後の安静は推奨しないというガイドラインを定めています。
その根拠の一つとして、胚移植後にすぐ立ち上がった患者の胚の位置が、安静にした患者と変わらないことが確認された研究があります。この結果から、安静が妊娠や着床を促進しないことが明確となりました。
ASRMでは、胚移植後の安静を推奨しないことをエビデンスの強さを Grade Aと位置付けています。安静は過去の慣習に過ぎず、妊娠や着床を促進する科学的根拠はないとされています。
5.長時間の安静をとると妊娠率が低下する理由
安静による妊娠率の低下について、以下のような理由が考えられています。
①子宮の自然な動きの阻害
胚移植後、移植された胚は子宮内膜の上を動きます。これは、子宮が蠕動運動によって胚を適切な位置に運ぶ働きを持っているためです。しかし、起きている状態の子宮と仰向けの子宮では、重力の影響の受け方が異なるため、長時間の安静が蠕動運動を抑制し、胚が適切な位置に到達するのを妨げる可能性が指摘されています。
子宮の蠕動運動とは? 子宮の蠕動運動とは、子宮内膜と子宮筋層が波のように収縮する動きを指します。この動きは、月経周期の各時期に応じて役割が異なります。[月経期]月経血を子宮外へ排出するため、子宮の奥(底部)から入口(頸部)へ向かって収縮します。[排卵期]精子を子宮内へ送り込むため、子宮の入口(頸部)から奥(底部)へ向かって収縮します。[黄体期]この時期は受精卵が着床する準備期間で、通常、子宮収縮の頻度は減少します。ただし、不妊症の患者さんの中には、黄体期でも蠕動運動の頻度が高い場合があり、これが妊娠率低下の要因になることがあります。このような場合、子宮収縮を抑えるためにダクチルが処方されることがあります。L Zhuらの、Uterine peristalsis before embryo transfer affects the chance of clinical pregnancy in fresh and frozen-thawed embryo transfer cyclesによる研究では、胚移植前の子宮蠕動運動の頻度が高いほど妊娠率が低下することが確認されています(負の相関関係)。 |
(まとめ)胚移植後の安静と子宮の蠕動運動
子宮蠕動運動の頻度が多いことは妊娠率低下の要因になる一方で、胚移植後の安静により蠕動運動が抑制されることもまた、妊娠率低下の要因となる可能性が指摘されています。
②長時間の仰向けに寝た状態の影響
胚移植の時期(胚盤胞移植の場合は受精から5日後)は、自然妊娠では胚が卵管から子宮に移動する時期に相当します。しかし、長時間仰向けで横になると、子宮が前傾または後傾することがあり、胚が適切な位置に移動するのを妨げる可能性があります。そのため、日常的な自然な姿勢を維持する方が良いとの指摘があります。
③血流の停滞
安静により同じ姿勢を続けると、骨盤周辺の血流が停滞し、子宮への酸素や栄養の供給が減少する可能性があります。子宮への十分な血流は、胚が着床し成長する上で重要な役割を果たすとされています。
④心理的ストレスの増加
「安静にしなければならない」と感じることで、患者さんが心理的なストレスを抱える場合があります。このストレスが着床や妊娠の維持に悪影響を及ぼす可能性が指摘されています。
6.休息のための安静
妊娠を目的とした安静は不要とされていますが、休息のための安静についてはどうでしょうか?初めて胚移植を経験する方にとって、移植後の緊張や疲れから少し休みたいと考えるのは自然なことです。
確かに、10分の安静でも妊娠に悪影響を与える可能性を指摘する研究もありますが、この議論は不必要な安静が患者の行動を制限することに対するものであり、心身の疲れを感じている方が安静を取ることを否定するものではありません。
身体が休みたいと感じた場合は、無理をせずに少し安静を取っていただいて構いません。また、以前に胚移植後の安静が成功体験として残っている方もいらっしゃるかもしれません。安静を取るかどうかは患者さん自身の判断にお任せします。
7.まとめ
胚移植後の安静は、妊娠率や着床率を改善しないことが多くの研究で示されています。むしろ、安静が悪影響を及ぼす可能性も指摘されています。ただし、心身の疲れを感じた場合には、無理をせず休息を取ることも大切です。安静を取るかどうかは、最終的に患者さんご自身の判断にお任せします。