なぜ、ルーツを含めた出自を子どもに知らせる必要があるのでしょうか。これを説明した非常に有益な講演を聞く機会がありました。
以下は、2022年11月3日に開催された第67回日本生殖医学会で、大会長である東京医科大学産科婦人科学分野教授の久慈直昭先生の会長講演の引用です。
久慈先生が長年抱いていた「出自を知る権利とは何だろう?」という疑問に、久慈先生自身の人生も重ねながら、こうじゃないかなという答えを出したお話です。
簡単に久慈先生をご紹介させていただくと、
1982年慶應義塾大学病院産婦人科に入局され、精子提供の人工授精(AID)にもたずさわりながら、精子提供に関わる研究もされてきた先生です。AIDの国内文献には久慈先生のお名前が多く登場します。
目次
- 秘密は墓場まで持っていく
- 足りない材料をもらって、助けてもらったんだよ
- 父と精子ドナー、そして異母兄弟
- 出自を知る権利とは
- 実際に告知された子どもの中で起こっていること
- あとがき、久慈先生の講演から学んだこと
- 謝辞
秘密は墓場まで持っていく
日本におけるAIDは1949年から慶應病院ではじまりました。医師は「AIDで子どもを生むことは夫婦だけの秘密にするように」と患者に話していました。当時は、AIDは夫婦だけの秘密にするべきだという論調が圧倒的で、それは医療者だけでなくマスコミも同じだったそうです。そして日本だけでなく世界的にもAIDは秘密に行うべき治療とされていたそうです。精子ドナーは匿名、親は子どもに真実を伝えない、つまり「秘密は墓場まで持っていく」というコモンセンスです。
しかし、
1990年頃から、
AIDで生まれたことを偶然知ってしまった子どもたちが、以下のような問題点、悲痛な叫びをあげるようになりました。
(親子関係・自己の確立)
1.秘密による家庭内の違和感・緊張感
2.(隠していた)親への信頼感消失
3.これまでの自分が覆され、アイデンティティ喪失
4.相談できる人や機関の欠如
(遺伝情報の欠如)
5.自分の体質や遺伝病への不安
6.近親婚の危険性
子どもたちは、「親は子どもに、精子提供で産んだことを告知すべきだった」、「ドナーを知りたい」と訴えました。
このような子どもたちの声を聞いた時、久慈先生は、「かわいそうだと思ったが、そういう生まれ方をしたならば、それはそれとして(前向きに)楽しく生きればいいのではないだろうか」と思いがちだったそうです。
その後、2000年頃から欧米各国では、「子どもにはAIDで生まれたことを小さな頃から話そう」「精子ドナーの情報を知るのは子どもの権利」という動きが広がってきました。
この時も久慈先生にはやはり疑問が湧いてきます。
「夫婦が自分達の責任として子育てしようと思って
AIDを選択しているのに、なぜ子どもに話さなければいけないのだろう?」、「そもそも、なぜ告知が必要なのだろう?」、「精子ドナーの状況を知る権利とは何なのだろうか?」、「精子ドナーとの(匿名という)約束をやぶってまで、するべきことなのか?」と。
ここから久慈先生はこの疑問についてずっと考えるようになったそうです。
足りない材料をもらって、助けてもらったんだよ
疑問に対する答えの入り口が見えてきたのは、久慈先生がAIDで生まれたオーストラリア女性に会った時です。
AIDで生まれたオーストラリア女性は、小さな頃、両親から聞いた話をしました。
「赤ちゃんを作るのはケーキ作りに似ているの。パパとママから、たくさんの材料をもらわなきゃならない。でもパパとママがあなたを作ろうと思ったとき、材料が足りないことに気づいたの。ポール(精子ドナーの名前)がその足りない材料を分けて、助けてくれたのよ。」
このように、ケーキをつくりながら、という親子の自然なコミュニケーションの中で、生まれた方法について彼女は告知をうけて育ちました。精子ドナーのことも知っていて、同じ精子ドナーから生まれた子がほかにいることも知っていたそうです。
父と精子ドナー、そして異母兄弟
彼女にとって父とは
父は、私を育て、教育し、愛してくれる人。「本当」の父が誰か、という混乱をしたことがない。
彼女にとって精子ドナーは
叔父さんのようなもの。人生の重要な出来事を共有し、私のことを誇りに思っていることを知っている。別に彼と結びついていたいという強い思いもない。聞きたいことがあるなら、彼はいつもそこにいる。
(同じ精子ドナーから生まれた)異母兄弟
いとこのようなもの。本当の兄弟ではないが、強い家族のつながりがある。どこが似ていて、どこが似ていないのかは重要だ。みな書くこと、しゃべること、コミュニケーションが得意で、そうした分野で職業を持っている。
と話したそうです。
AIDで生まれた他の子と出会って~その違い~
また、彼女は成人してから、同じAIDという方法で生まれたが告知されなかった人に出会います。彼らが怒り、悲しみ、裏切られたと感じ、両親を信じられなくなり、自分の存在自体さえ幸せに思えないでいることは衝撃だったそうです。
「このような人たちと話すのは辛かった。私たちは同じ方法で生まれたが、私たちはとても違った人生を歩んでいる。殆ど共通点はなかった。」と。
久慈先生が、彼女から感じたことが2つありました。
1. 精子トナーは、彼女にとって「おじさん」という感覚であり、父親ではないこと。精子ドナーと(同じ精子ドナーから生まれた)異母兄弟は遺伝的背景を知るために重要ということ。
2. 彼女の「父親」への見方や「AIDで生まれたが告知されなかった人」への感じ方は、久慈先生と同じ感覚だったこと
出自を知る権利とは
久慈先生は考えます。出自を知る権利とは、何なのだろうか?
ふと、久慈先生は自分の人生を振り返ってみました。先生の家系は3代続く産婦人科医。久慈先生が専攻を決める時、自分のルーツを振り返り、きっと自分は産婦人科の素養があるのだろうと思って選択した部分がある。
もし、自分がドナーの配偶子から生まれていて、そのドナーがスポーツ選手という情報を知っていたら、人生の選択の時にはスポーツの道に進もうと思ったかもしれない。そして、それを人生の選択の後に知ってしまったら、選択に失敗したと思うだろう。
ドナーがスポーツ選手なのかどうか、という情報があるかないかは、近親婚のリスクとか、ドナーに病気があるかどうかとは別の話。
人生の選択や、窮地から抜け出そうと思った時の選択では、自分の遺伝的情報は大事な要素になると思う。
と久慈先生は言います。
また、久慈先生は、親として子を育てる中でも、ドナーの情報を明らかにできないことで問題が生じるとも言っていました。
AIDにより自分とは違うバックグラウンドを持った子どもが生まれたとする。そして産婦人科医である自分をみて、子どもが同じように産婦人科医になると言い出したら、複雑な気持ちになるだろう。遺伝的にも繋がりがある父親や祖父が産婦人科医だから、自分は同じ選択をしたと自覚しているのに、子どもには黙っていなくてはならないわけで……。
もし、子どもが人生で苦しい時に真実を知ってしまったら、誤った遺伝的要素の情報で、誤った人生の選択をしてしまったと思ったら、立ち直れるのだろうか。
つまり、出自を知る権利とは、
・自己の遺伝情報を知る権利というのが正しいのではないか。
・重要なのは、精子ドナーがどこに住んでいて、なにをしている誰々という個人情報ではなくて、得意不得意などもわかる遺伝情報ではないか。
告知された子どもの中で起こっていること
スウェーデンには、1985年から出自を知る権利があるので、その18年後の2003年がドナーを知ることができる最初の年になりました。しかし2003年にドナーを知りたいと申し出た人数は少なかったそうです。それから今日まで、出自を知る権利が保障されていても、生まれた人の全員が強く知りたいと思うわけではないことがわかりました。2022年のスウェーデンの論文より、思春期以降に偶然AIDで生まれたことを知ると、7歳以前に知った場合に比較し提供者に会いたいと申し出る割合が増えることがわかりました。(Lampic C, et al. Hum Reprod 2022)
久慈先生は、講演の中で下の図を示してこう話しました。
生まれた人の中でおこる「精子ドナー情報の欠如」は、
告知をしないとどんどん本来あるべき姿からはずれていきます。年をとればとるほど、自分のルーツから得られる情報で構築していく割合が増えるからです。
一方、幼少期までに告知をすると、本来あるべき姿に近い状況で育っていると感じることができます。
久慈先生はオーストラリアの女性と話した時、それまで会ってきたAIDで生まれたことを告知されずに育った子と全く違った感覚を覚えたと言っていました。この感覚が久慈先生にとって一番確かなことになったそうです。
今はDNA検査で簡単に遺伝情報がわかってしまう。子どもが親と血が繋がっていないことを親以外から知ってしまうことはアイデンティティの喪失につながることはご存知の通り。だから尚更、親は子どもに告知する必要があります。
そして精子精子ドナーの情報を開示することも重要。なぜならそれが自分の遺伝情報を知ることになるからです。
だから、AIDのルールはこの2つが守れる方法がいいと思います。と先生は結びました。
あとがき、久慈先生の講演から学んだこと
第67回日本生殖医学会で久慈先生の講演を聞いた時、すごく腹落ちした感覚を覚えました。それは、当院も久慈先生同様に考えていた時期があるからです。当院でも以前は、告知をしなくても子どもは幸せになれると考えており、「子どもへの告知は必須にしてほしい」というJISARTの方針が理解できず議論になったこともありました。聡明な久慈先生ですら、お考えを変えるのに年月が必要だったわけです。一度、決めたことを変更するのは簡単ではありません。
年月を経て、2022年1月、当院は子どもの福祉を第一優先とした現在の提供精子の生殖補助医療の実施要項を策定しました。これは生まれた方法とルーツの両方を告知する仕様で、実際的に必要なものが揃っている状態になりました。自分たちが提供した治療方法如何で、新たな生命の人生に大きな影響を及ぼすことを知るにつけ、緊張感と使命感を新たにした次第です。
謝辞
本稿にあたり、ご講演の引用をお許し下さいました久慈先生に御礼を申し上げます。当該医療における国内第一人者というお立場にありながら、自らの治療に疑問を持ち、常に善きものを目指そうとする姿勢に学ばせていただくことで、お返しができればと思います。
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